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睦月24日 文化財予防の現地訓練



久々のブログ更新です。

昨日、1月23日の午後2時より消防署による現地訓練が

当社におきまして実施されました。

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なかなか大がかりです。

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平成25年の1月にも行われましたが、今年は更に厳重に行われました。

消防ヘリも上空から散水しました。

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消防署と分団、更には、当社の設備の放水銃も使用しました。

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最後の写真は避難場所より。

まさかの事態に備える訓練。

消防署と分団の皆様の真剣な訓練により、職員も気が引き締まりました。

今ある文化財を後世に引き継いでいかなければなりません。

ご近所の皆様や御祈祷にご来社のお方様にはご迷惑をお掛け致しました。

ご協力とご理解をありがとうございました。
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更に荘厳な吉備津神社をお願い申し上げます。

お邪魔致します。
初詣に、吉備國一宮を参拝させて頂きました。
比翼入母屋造の社殿等は素晴らしく、正に山陽道屈指の大社でございました。
ただ、願わくは、今後は周辺の環境整備にもご注力を賜りたく存じます。
御神木の銀杏は、大社のそれとしては枝振りに不足を感じられましたこと、僭越ながら申し上げます。
百年先、千年先を見据えられ、銀杏・欅・栃・杉等を植栽されますこと、期待申し上げます。
また、参道や石段周辺の杜につきましても同様にございます。
四季折々の景観を形成するとともに侘び寂びのある落葉高木の大木を配置することにより、
場所によっては鬱蒼と茂るなど、神々しく荘厳な杜で境内を囲んで頂きたいものであります。
[ 2015/02/07 02:10 ] [ 編集 ]

Re: 更に荘厳な吉備津神社をお願い申し上げます。

過日はようこそご参拝くださいました。
当社は、備中一宮ですが、古来、吉備国の総鎮守として備前備中備後の一宮として「三備一宮」と称えられて朝野の崇敬も篤かったことが延喜式や六国史などからもうかがえます。

さて、ご指摘は至極もっともな事と存じます。吉備の中山も松の美しい山でしたが、台風の影響や松喰いなどにより無くなり、雑木の山と荒れてしまいました。
また、樹齢600年の大いちょうもここ20年ほどの間に樹勢も弱り、主幹に腐りも見られますが、樹木医によりますと、今心配する状態にはなくむしろ自然のままにしておいたほうが良いとのことでした。
社務所裏には大きな欅もありますが、何しろ大きな杉などは昭和初期の台風により倒れてしまいました。
その後、近代化やご参拝の方のご要望により境内整備が進んできましたが、鎮守の杜の風格という面では難点もあろうかと思います。
植栽なども徐々にしております。
またアドバイスなどいただけましたら幸です。

コメントをありがとうございました。
[ 2015/02/07 14:32 ] [ 編集 ]

早速にご回答を賜りまして、厚く御礼を申し上げます。
吉備國が備前備中備後に分割され、それに伴い備中一宮となられた吉備津神社ではありますが、
我々吉備國の人間と致しましては、吉備國一宮・吉備國総鎮守と解してございます。
さて、近世の吉備中山は赤松林が卓越しておりましたが、松喰虫被害等により雑木林となりました。
所謂雑木林には橡・小楢・榎等、昆虫や小動物を育み多様な生命を宿す植生もございますものの、
近年では竹や常緑雑木が進出し単なる荒廃山野と化しつつあるのが現状であります。
古には現代よりも若干寒冷な気候であったこともあり、松・杉・樅・山桜・欅・栃・楓等の多様な樹木が分布し、
春は生命の息吹、夏は茂れる青葉、秋は紅橙黄の錦絵巻、冬は寂寥感漂う枝振等と四季折々の装いを見せながら、
狐や狸は勿論の事、野兎・栗鼠・貂・鼯鼠・摸摸具和といった動物が生息していた事でありましょう。
願わくは、境内や鎮守の杜を含む周辺整備に当たりまして、欅・栃・樅・榎等により構成される杜を吉備中山に整えられ、
神々が宿る鎮守の杜に相応しく、生命や自然への畏敬が感じられる、荘厳な杜を賜りたく存じます。
社務所裏に在ると仰る欅の大木につきましては、次回、是非とも拝見致したく存じてごさいます。
有難うございます。
[ 2015/02/08 10:02 ] [ 編集 ]

Re: タイトルなし

コメントをありがとうございます。

三備一宮について少し説明をさせていただきますと、一宮の由来は、国司が任国の際、管内の神社に巡拝をする慣例が平安時代にはあり、便宜上、主要神社を選んで巡拝する時の第一に拝する大社のことを一宮と言いました。「今昔物語集」が初見記事ということです。
つまり、一宮というのは、国司が参拝する上での格付けです。吉備国時代には国司はありませんので、吉備国一宮というのは存在しません。
当社を三備一宮というのは、当社が備前・備中・備後の一宮を兼ねていたと思われることから称されるようになりました。

吉備の中山の松は、昭和初期の台風で大方が中折れしてしまい、一時、木がない山となってしまいました。
それは、今でも古写真で見ることが出来ます。

昭和の絵葉書や写真で見られる吉備の中山はとても美しく、また、当社の正面入り口をはじめとする境内もとても圧倒的な雰囲気が写真からも伝わります。
ご指摘のような雰囲気は確かに昭和初期までは見られたと思われます。
とても残念なことですが、受け継ぎ、次世代へとつなぐ我々今の神社を預かる世代がより良くなるべく努力を惜しんではならないとコメントを拝見致しまして新たに思った次第です。
ありがとうございました。
[ 2015/02/08 16:58 ] [ 編集 ]

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